3. 現金給付から現物給付へ
もちろん、これまでも先進諸国における政府は、「福祉国家」を標榜し、生活保障機能を果たしてきたといってよい。しかし、これまでの先進諸国における生活保障は、中央政府による公的扶助や、中央政府の運営する失業保険、医療保険、年金などの社会保険という現金給付によって担われてきた。つまり、中央政府の財政による所得再分配機能によって、先進諸国の政府は生活保障機能を果たしてきたのである。
しかし、このように所得再分配機能を財政が発揮するには、法人利潤税や累進所得税などによる富裕所得層への課税が必要となる。ところが、こうした法人利潤税や累進所得税は、地方税としての課税が困難となる。というのも、地方政府は国境を管理しないオーブン・システムの政府だからである。法人利潤税や累進所得税などを地方税として課税し、地方政府がそれを増税すれば、たちまち法人企業や富裕所得層が移動してしまうからである。
そのため、こうした租税は国税として課税され、現金給付による所得再分配機能が中央政府によって担われてきたのである。ところが、1980年代以降、市場経済がボーダーレス化し、グローバル化し始めると、国税としても法人利潤税や累進所得税に課税していくことには限界が表れる。というのも、中央政府による境界管理が無力化していくからである。
そのため1980年代以降、経済活動がボーダーレス化し、グローバル化し始めると、国税における税制改革でも、法人利潤税や累進所得税という所得課税から消費課税へ、あるいは「広く薄い」負担へという方針へと転換していく。つまり、ボーダーレス化やグローバル化にともなって、中央政府が現金給村によって所得再分配機能を発揮することに限界が生じ始めたのである。
このように中央政府の所得再分配機能による生活保障に限界が生じたといっても、前述したように家族や地域共同体の機能は縮小し、政府による手活保障へのニーズは強まっている。もっとも、ニーズの高まっている公共サービスは、家族や地域共同体の共同作業や相互扶助に代替する生活関連社会資本や社会福祉サービスである。つまり、これまでのような現金給付や公共サービスを享受する者を限定した選別主義的サービスではなく、家族や地域共同体の共同作業や相互扶助に代替して、地域社会の構成員が普遍的に享受する普遍主義的サービスの現物給付である。
ところが、こうした現物給付は市民の日常生活の実状に即応して供給される必要があるため、地方政府が独自の判断でニーズを把握し供給しなければならない。そのためにはどうしても地方分権が必要となる。日本でも1973年を「福祉元年」と呼び、「福祉国家」への途を選択したけれども、それは現金給付を中心とする福祉政策の充実を意図したにすぎない。ところが、1980年代にゴールドプランを契機に、福祉政策が現金給付から現物給付へと大転換を遂げると、「地方の時代」が叫ばれ、地方分権への動きが急速に強まっていくのである。

 

4. 集権的分散システム
地方分権推進法はその第一条で、地方分権を推進する目的を、「国民がゆとりと豊かさを実感できる社会を実現すること」にあると謳っている。確かに、市場経済によって手に入れることのできる財・サービスは、巷に氾濫している。それにもかかわらず、ゆとりも豊かさも実感できないのは、豊かさを追求する過程で喪失した家族や地域共同体の機能を代替し、サポートする生活関連社会資本や社会福祉サービスが不足しているからである。
なぜ不足するかといえば、日本の財政システムが集権的だからである。ところが、不思議なことに日本の地方政府は、世界的にみても公共サービスを供給するウェイトが高い。しかし、日本の地方政府には公共サービスを決定する権限がない。つまり、日本の地方政府は多くの公共サービスを供給しているけれども、それは中央政府の決定した公共サービスを単に供給しているだけにしかすぎないのである。
公共サービスを主として中央政府が供給していれば集中、主として地方政府が供給していれば分散とすれば、日本の財政システムは明らかに分散システムである。しかし、公共サービスの供給を主として中央政府が決定していれば集権、主

 

 

 

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